(写真:南米屈指のリゾート地、プンタ・デル・エステ(ウルグアイ))
これまで選挙にもそこまで強い思いをもっていなかった自分が、エルサルバドルの日本大使館で一票を投じることになったきっかけは、エルサルバドルの前に約10日ほど滞在したウルグアイでの体験がありました。
「安全」なウルグアイ
モンテビデオに到着した初日。海岸に近い小さなレストランで一人ランチをしていた時のことです。オーナーと思われる女性と話すと、彼女は意外なことを口にしました。
「この国は安全で、教育もちゃんとしている。だから移住してきたの。物価は高いけれど、それだけの価値があるわ」
彼女はウルグアイ人ではなく、ブラジル人でした。隣国の大国から「安全と教育」を求めてやってきたのです。
南米と言えば治安が悪い、と身構えて乗り込んだだけに、ウルグアイの初日からとても大きな衝撃を受けました。

(写真:ウルグアイの首都モンテビデオの海沿いの歩道。警察官は滞在中一度も見かけなかった。)
モンテビデオの街を歩いて本当に驚いたのは、警察官の姿をほとんど見かけないことでした。
隣国ブラジルのサンパウロでは、銃を持った警備員が日常の景色ですし、今回立ち寄ったコロンビアの首都ボゴタには街中にグラフィティ(スプレーの落書き)があふれていますが、ここでは違います。
実際、外国人居住者が多いプンタ・カレータス地区などは、警察がいないのに、夜の一人歩きも全く不安を感じないほど安全です。
どうして警察がいないのに安全なのか?
街中で警察官だらけのサンパウロでは力による統治が肌で感じられたのに対して、ウルグアイのモンテビデオは、社会そのものが安全だなと感じさせる「何か」がありました。「それは何なのか?」を今回の私の南米の旅のテーマの一つになりました。

(写真:危険を感じさせない、ウルグアイの首都モンテビデオのプンタ・カレータス地区)
(動画:ウルグアイの首都モンテビデオのポシートス地区)
「小国」ウルグアイってどんな国?
なぜこの国は、これほどまでに安全なのか。
その理由を理解するには、まずウルグアイという国そのものを知る必要があります。
ウルグアイは人口約340万人(京都都市圏の人口と同じくらい)。面積は日本の約半分という小国です。
19世紀、大国ブラジルとアルゼンチンが3年にわたる激しい戦争を繰り広げた末、イギリスの仲介によって「緩衝地帯」として人工的に切り出されたのがこの国の始まりです。

(写真:「大国」ブラジルとアルゼンチンに挟まれた「小国」ウルグアイ)
ウルグアイ人と話すと、二言目には
「わが国は小国ですから」
という言葉が出てきます。
彼らは最初から「自分たちは大国に挟まれた小国である」という現実を直視しています。
実際に、ウルグアイは、独立してから現在に至るまで、隣国の「大国」アルゼンチンやブラジルの影響を強く受けてきました。特に経済面では、アルゼンチンの経済危機の影響をもろに受けて、ウルグアイでも金融危機が発生してしまいました。
そのような小国だからこそ、生き残るための「賢い知恵」を磨いてきました。
では、その「小国の賢い知恵」とは何なのか。
次回は、ウルグアイが社会の安定を維持するために選んだ仕組みについてお話しします。